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医大 O准教授 初受診2月6日(手術までの経過⑥) [闘病記]

車で従姉妹を迎えに行き、二人で医大まで。「久しぶりやわ。おばちゃんが、亡くなった日以来や。」おばちゃんとは、私の母のこと。「そしたら、10年ぶりやわ。私は、研修会とかでたまに来てるけど。ほら、あそこ。霊安室よ。覚えてるやんな(笑)」「うはっ(笑)」なんか、よくわからないけど、霊安室を前に笑いあう私達。緊張感を隠したかったのかも。

予約制だが、早くついたので30分前に受付完了。すぐに呼ばれたが、それは予診録をとるための研修医。まず、今回の受診にあたって私自身が、どのように理解しているか確認される。家族歴を聞かれ、父が胃、直腸、肝臓のトリプルキャンサーで、骨メタ転移。母が上顎ガン。二人とも、既に亡くなったこと、この病院で手術したことを説明。ちょっと驚いていた。その後、若干の待ち時間。否が応でも、緊張感が高まる。いよいよ呼ばれ診察室に入る。まずは、私だけ。こんにちわと挨拶をお互いに交わす。まず肛門からの触診。その後、A病院からの書類や検査結果、画像などを広げて見ているO准教授。A病院からこちらに受診した経緯の理解度を確認され、検査で手術適応のガンが見つかったからと答えた。それでは、家族の方に入ってもらって説明しますと言われたので、「家族といっても、従姉妹。近親者はいないので、何もかも私が判断することになるので、全て私に話をしてほしい。」とお願いする。「それでは、いろんなことを考えておく必要がありますね。わかりました。」そして、従姉妹同席した状態でさらに画像をくまなく見る准教授。「んー。ん?うーん…そっか〜。んー。」何やら、問題があるのか、思案している時間が長い。そして、ついにO准教授からの告知が始まる。用意された説明用紙を使いながら、私の該当する項目にチェックを入れてインフォームドコンセント。肛門から15センチ先のS状結腸に大きさ6センチから7センチとかなり大きい進行ガンがある。急いで手術が必要。子宮も一緒にとる可能性も高い。腸を突き破って腹膜に転移してる可能性も考えておかないといけない。永久的人工肛門の可能性は、厳しくみて10〜20%程度。膀胱への影響もあり、その場合尿路変更も必要となるため、ダブルストーマの可能性もある。手術後、抗がん剤治療もする必要あり。子宮をとることを想定して婦人科の、そして尿路変更のための泌尿器科のバックアップ体制準備が必要なので手術日がまだ確定できない。消化器外科の手術枠は埋まっているが、他科の枠で空があるのでそこにねじ込みたい。しかし、それは一週間前にならないと入れ込めないため、木曜日にもう一度受診して、手術日を確定したい。手術までに、泌尿器科、婦人科受診、検査をいろいろ受けておくこと。O准教授としては、2月15日か、17日に手術を入れ込みたいと思ってる。手術日が確定すれば、その三日前に入院して貰う。今まで、胃カメラをしたことは?と聞かれ全く未経験と答えると、スクリーニングのために必要なのでそれは紹介元の病院で受けるように言われる。インフォームドコンセントを受けたことに、私と従姉妹が署名し診察が終わった。「良かったやん、手術早くしてもらえるから。さっさと取って、終わらせよう」と従姉妹。説明後、私自身の頭は真っ白だったため、従姉妹の言葉をすんなりと受け入れることができた。そして、従姉妹の幼い子ども達が留守番してることを思い出し、「もう今日は帰って。あとは、私一人で大丈夫。今度は手術前のムンテラにもう一度、来てもらわないとあかんし。」と、帰らせた。そして前もって準備していた一式を渡した。まず、我が家の鍵。ダイアル式郵便ボックスのナンバー。マンションシャトルバスのチケットと時刻表。宅配ボックスのカード。私の名刺。電車に乗るためのぐるっと関西カード。現金三万円を入れた財布。お金はいらんと従姉妹は言ったが、入院してあれこれ買ってきてと私が依頼するかも知れないのでというと、「わかった」と受けとってくれた。
その後、看護師が必要な受診と検査の説明をしてくれると、私の予定は毎日埋まってしまった。本日は採血、凝固機能検査。胸部と腹部レントゲン、呼吸機能検査。翌日の火曜日が泌尿器科。水曜日は婦人科。どちらの診療科も初診は予約制ではないため、かなりの待ち時間となるらしい。さらに水曜日は下肢エコー検査。木曜日は、もう一度消化器外科受診。金曜日は胸部CT。そして、全身麻酔の手術となるため、術後感染予防のための呼吸訓練用具を医療売店で購入し、自宅で訓練するように言われる。医療売店に行くとレジで人口肛門関連グッズを購入している夫婦。先ほどのインフォームドコンセントで、私が一番気にかかっていたのが人工肛門。そんなの、絶対に嫌なのに何も言えず頷くしかできなかった。覚悟は必要なのだろうけど、自分のライフスタイルの中に、人工肛門をしてまでという選択肢はなかった。私には育てないといけない子どもも、将来的に介護が必要となる親も既に死んでるため、長生きする必要がない。量よりは質を重視したいと、言うつもりだったのに、全く言えなかったのだ。
さらに、もうひとつ困ったこと。胃カメラをA病院でやれと言われたけれど、毎日医大に来ないといけない私に、それは可能なのだろうか?この時既に15時過ぎ。A病院に電話して説明したが、受付は事態の緊急性がわからないため、まずは医師の診察を受けないと予約できないとしか、言ってくれない。先ほどの看護師は、紹介元の病院で予約できない場合は、胃カメラを持っているクリニックとかを捜す方法もあると入ってたが、私にはそんな余力はなかった。とりあえずA病院に向かい、薬局に行きそこから内線電話で、内科医長に直接電話をし「どうしたらいいのか、考えられない」と訴えた。すると、折り返し電話するから待ってなさいと返事。その後「明日の朝、一番に胃カメラの予約を入れたので今夜9時から絶食して下さい。朝一人目の検査なので、それが終わってから十分医大の泌尿器科受付時間に間に合うから」と手配してくれた。本当に、助かった。
その後、本日医大受診だということを知っている人達に、報告の電話やメールをする。自営業のため、付き添いや運転など手伝う必要があればなんなりとと言ってくれた後輩に、胃カメラ検査後の病院移動が自分の運転では不安なのでお願いした。
事態は深刻であるが、それを考えられないほど予定が目白押しで、とにかく日程をこなすことしか、私にはないと割りきった。
ふと、高校の時の同級生の存在を思い出した。外科医として活躍しており、両親の病気の時にも相談に乗ってもらったり、その後も数年に一回の頻度ではあるが、連絡を取っていた。母の死によって私の近親者がいなくなり、私がインフォームドコンセントを受ける時は、誰と一緒に聞けばよいのかと、彼に愚痴ったことを思い出した。その時彼は、「本人も困るだろうけど、医療者側も困るんだよね、そういう場合。」と話していた。まさに、その予測が目の前で現実になろうとしていた。とにかく相談してみようとメールを送ったのが21時前。しかし、その日は、返事がなかった。

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