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A病院検査目的入院(手術までの経過③) [闘病記]

検査入院当日より、検査食。
昼と夕の検査食、購入した穴あきパンツを持って、A病院で入院手続き。なんと特別室。
わたしが勤務していた頃、法人理事長のお母様が入院されていたお部屋。服薬指導のため、何度か私も入室したことがある。リフォームされ綺麗になっているが、ベランダは昔のまま。差額は15000円。法人職員なので無料。有り難いことだ。Wi-Fiの電波もばっちり。iPad持ってきたし、退屈せずに過ごせそうだ。
内科医長が、やってきて腫瘍マーカーがちょっと高かったこと、レントゲンでもガスがたくさん写っていたこと、これら全てファイバーで中を見ればわかるので、明日の検査結果待ちですと言われる。まだ、この段階ではポリペクでことは済むと考えていた。
持続点滴開始。生まれて初めての点滴がいきなり持続点滴か。留置針を入れてくれた看護師は、手袋をしていない。指もひび割れだらけ。私が感染症持ちだったら、どうするのだろう?マニュアルって、実際は守られていないものだと実感。
ヨーデルとマグコロール服用後、就寝。ぐっすり眠れた。翌朝より、ニフレック2リットル服用。皆が言うほど、大変ではない。一気に1リットルは楽勝。残りも、一気飲みは無理だが普通に飲めた。ずっと水様便にしていたので、今更下剤を飲んだところで、大きな変化はない。30分位経過し、排便。腹痛もなく、ただ水様便を出す。色が薄まったところで、ナースコール。若い男性看護師くんに、自分の便を見せるのはやはり抵抗ある。いよいよ、車いすに乗って外来カメラ室へ。狭い部屋に男性医師二名。どちらが私の担当医?処置台に横たわっていたら外科のH先生が、別件で入ってきてすぐに出て行った。私には、気づいてないよね。
大腸ファイバー検査が始まる。麻酔のゼリーを肛門部分に塗ってスコープを入れる際に「痛かったら、眠れる薬入れるから言ってね」と医師。「もう、最初から入れてください。」と頼んだ。「じゃあドルミカム2.5ミリ入れて」(ミリグラム?ミリリットル?1アンプル何ミリグラムだっけ・・・)と考えているうちに、寝てしまったようだ。気がついた時には、内視鏡の先生だけでなく、内科医長もいた。「検査終わりましたよ。途中から入らなかったから、別の検査をしますからね。食事は気をつけて、下剤で水様便にしておきなさいね」と内視鏡医師。「僕、後から部屋に説明に行きますから」と内科医長。車椅子に乗って、部屋に戻る。何?なにが起こってるのか、さっぱり理解出来なかった。だから不安や恐怖さえ感じず、じっとしていた。足音がした。あの音は内科医長だ。カルテを広げ、先ほどの写真を見せながら、「こういうのがあったので、途中からカメラが入りませんでした。明日注腸の検査をするために医師を手配してますが、間違いなくオペ適応のものなので、医大に僕とH先生の名前で紹介状を書きます。H先生とはゴルフ仲間だそうですね。お父さんの主治医でもあったって聞きました。」「はい、そうなんです。」「僕の叔父も、同じ先生に紹介して手術しました。その道では、権威のある医師なので」私はベッドに腰掛け、内科医長は立ったままで、バッドニュースは告げられた。人生初のガン告知。想像していたより、それは軽々しくビジネスライクだったので、こちらも「やっぱりでしたね〜」と苦笑い。(実際の表情はどうだったのか、退院したら聞きに行こう。)
その後、検査結果を気にして、A病院の薬局長が覗いてくれた。元上司、ゴルフ仲間、今回のファイバー検査を勧めてくれた人物。この人も、淡々と話を聞いてくれるタイプなので、深刻な病気じゃないような気がしてきた。しかし、その夜一人個室に寝ていると、不安が高まりなんとかしなきゃと焦燥感が出て来た。私は、近い親友達にメールを送信し、ガン告知を受けたことを報告。精一杯のSOSを発信したのだった。みんなにカミングアウトし、励ましの言葉を貰っているうちに、焦燥感は収まっていった。翌日は、前処置として浣腸だけをして、注腸検査をした。ガストログラフインを肛門から入れ、レントゲン撮影。途中、何度も姿勢を指示される。検査中、緊張のあまり血圧上昇してたらしい。結果はその場で、軽く教えて貰った。「S状結腸のところに腫瘍があるが、それより上は大丈夫。でも、詰まりやすい状態なので、食事に気をつけるように。」
部屋に戻り、点滴を外してもらい、退院準備をする。内科医長も、結果の説明をしに来た。「大きさは6〜7cm、かなら大きく膀胱側にも膨らんで接触してるように見えるが、それが浸潤によるものかどうかは、この画像では不鮮明で判断できない。でも手術は絶対。大変だけど、頑張って下さい。紹介状は、準備してるから」「医大じゃないと駄目なんですか?いえ、医大が不安とか、そんな失礼な意味ではないんです。私の家からは、かなり遠いし、親戚からも遠いし」と、内科医に言ったが、実は医大は父も母も癌の手術をした病院。私や親戚にとっては、つらく悲しい思い出しかなく、トラウマなのだ。「うーん、他に紹介できるいい医者がいるかなぁ。いや、ほんとにO先生は名医なんですよ。それに医大の大腸がんの手術件数はすごく多くて、誇れる診療科が少ない医大の中にあって、花形の部門なんです。」自分自身も医大の内科出身。その医大をちょこっとけなしてまで、O先生を勧めてくれてるため、「だったら、お任せします」と、お願いした。
その後、私はショッピングモールに行き、入院に必要なパジャマ、スリッパ、洗面器、お箸、スプーン、下着類などを買いあさった。なにか、行動していなければ、いたたまれなかったのだった。
医大への受診予約は、A病院の地域連携室が、してくれるらしい。

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