SSブログ

2月11日〜手術前日 (手術までの経過⑪) [闘病記]

11日は、自宅で入院荷物の準備。そして、オペ前に知り合いの外科医に渡すお礼状を作成しプリントアウト。恥ずかしいので読むのは帰りの新幹線の中で読んでと、渡すつもり。高校を卒業する時には、まさかこんな展開になるとは、夢にも思っていなかった。30年の腐れ縁であり、とても感慨深い。
夜中、ショップチャンネルで洗濯機、乾燥機で丸洗いできる枕2個セットがバリュー価格で放送されていた。これは、入院生活にちょうど良いかもと発注。その他、洋服も3点ほど発注。しかし、よく考えると配送日は14日となるため、私はすでに入院しており受け取ることができない。あちゃ〜。なんとか、方法はないか考え、配送先を勤務先の病院にした。そして、部下(主任・右腕ちゃん)に荷物が配送されるから、それを薬局長室に保管しておいて欲しい。病院の枕が寝苦しかったり、腰当て用に追加の枕が必要と感じた場合、病室に持ってきて欲しいとお願いするかもしれない旨を伝えた。
12日は、かかりつけの美容院でカット、毛染め、ヘッドスパのフルコース。今回の病気と、今後の薬物治療の必要性を説明。「抗がん剤するんやったら、毛が抜けるかもね。せっかく今までお金かけて手入れしてきたのに、なんかがっかりや」と、イケメンスタイリスト。お金をかけさせたのは、商売上手のあなたで、がっかりするのは私なんだけどと、笑ってしまった。
2月13日は、最終出勤。机の上を、整理整頓。薬局長室も誰が入っても恥ずかしくない状況に片付けた。
翌日のバレンタインデーに入院。知り合いに病院の入り口まで送ってもらい、一人で入院手続き。一番端の角部屋にあたる一人部屋に案内された。噂以上に綺麗な病室。とてもウキウキしてきた。荷物整理をするも、パジャマに着替えるタイミングが解らない。自分が病人だという意識が希薄なのだ。看護師さんが来たので、パジャマに着替えたほうがいいか確認すると、お見舞い客との区別がつきにくいので着替えて下さいと言われる。その後、初の病院食。昼食のメニューの人参が、ハート型に、切り抜いてあるのが印象的だった。夕食もそこそこ美味しい。しかし残念無念なことに、明後日から絶食となるため手術前の病院食は、5回だけということ。私が食事可能になるのは、いつからなのか、術式によってやオペ後の経過で異なるので今は不明。
入院当日は、担当のナース以外にも栄養士、薬剤師、病棟師長、主治医チームが次々と挨拶に来た。みんな、私が薬剤師という情報を知っている。医療職が患者というのは、やりづらいだろうなと気の毒に感じた。栄養士は食事の希望を聞き、薬剤師は現在服用中の薬を確認するなど、チーム医療としていろいろな職種で役割分担ができている様子。主治医チームは、ベッドネームには6名の医師名があった。O准教授は主治医ではなく指導医という立場。その下のT医師が執刀医であり主治医チームの代表。知り合いの外科医も、T医師とその後の詳細な連絡を取っているようだ。その外科医よりメールで確認されたのが、手術の立ち会いについてである。T医師ら執刀医が了承すれば、オペ室に彼も入室するとのこと。私が想像していたのは、よく医療ドラマで手術室を上から見学する風景。しかし彼の言う手術の立ち会いとは、執刀医の斜め後ろに立つことらしく、私の内臓脂肪を見たり裸を見ることになるが、構わないのかと確認された。テレビで見る手術風景では、患者はブルーの滅菌オイフをかけられているので、大丈夫だと思っていたが、現実はそのオイフをかぶせる前に消毒などの処置をするため、真っ裸を見る可能性があるということらしい。さすがに、それはいくらなんでも嫌だ。消毒処置が終わり、オイフをかけた状態でオペ室に入室するように依頼。「なんと、ややこしい。」と言われたが、私にだって乙女心があるのだ。

入院日と翌日は、なんの検査もなくただ部屋で過ごすだけ。先週までの怒濤の外来通院はなんだったのかと思うほど。
16日にはT医師による手術の最終説明がある。PETの結果も、その時に聞くことになる。すごく不安になってきたので従姉妹だけではなく、肺癌闘病中の叔母にも一緒にいてほしい、タクシー飛ばして来てと電話すると、もちろんそのつもりだった、だから安心しなさいと言ってくれた。その言葉を聞いて安心でき、その夜はぐっすり寝ることができた。
いよいよT医師による最終手術説明。入院前にO准教授から聞いた説明とほぼ同じ。手術後、経過がよければ2週間で退院可能。PETの結果、血行性転移による肝臓、肺転移はなかったとのこと。ただし、これは目に見えるレベルであり、微少ガンの有無は不明なので△印をつけられた。他臓器(骨盤内の子宮、卵巣、膀胱)への転移も、オペをしてみないと詳細はわからないが、切除が必要な場合は泌尿器科、婦人科の応援準備は確保済み。低位前方切除という術式。永久人工肛門の確率は1%。しかし半年など一時的人工肛門の確率は30〜40%。膀胱への影響によっては、尿路変更もあり得る。最悪の場合は、非切除。(吻合が無理な状況であれば切除せずに、放射線治療や抗がん剤治療をして、腫瘍を小さくしてから再オペすることもあるということらしい。)術中、術後の主な合併症として、出血多量。(これは輸血などで対応)縫合不全となれば、再手術をし一時的人工肛門増設。感染、腸閉塞、排尿障害、性機能障害、ストレスによる潰瘍や譫妄。そして肥満があるので肺塞栓の高リスク。手術は13時開始で4〜5時間。けっこう大手術となるとのこと。ここまで最悪の状況を説明されると、何を希望にすればよいのか、わからなくなってきた。「先生、私が人工肛門も尿路変更もせず、手術が無事に成功する確率は何パーセントなんですか?」と確認すると60%と返答。「なんだ、二分の一よりも多いんだ。よかった。」と安堵した。私の大好きな海外医療ドラマ「グレイズアナトミー」で「最善を願って、最悪を準備せよ」というフレーズがあった。まさにその心境。T先生より、「H医師が手術に立ち会うという連絡を受けてますが、よろしいのですか?」と訪ねられた。「いえ、私より先生方はよろしいんですか?」「私たちは構いませんが、あなたはどうなんですか?知り合いなんでしょう?」「彼は日帰り予定なのでタイムリミットもあるようですし、現場にいる方が何かと都合がいいのかもと考え私は構わないと結論を出しました。どうぞよろしくお願いします」というやりとりがあった。
その後、麻酔医による麻酔の説明。全身麻酔と硬膜外麻酔についてのリスク説明を受ける。(このリスク説明が、チキンハートの私にとって大きなダメージとなり、全身麻酔から覚めカチコチ状態の自分を実感した時に、これは麻酔の影響なのか?一生このままだったらどうしようと大きな不安にかられる原因となった。)


共通テーマ:moblog

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。